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厳しく育てればいいという誤解

2018年9月12日

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よくスポーツ選手や格闘選手の親をインタビューすると「厳しく育てた」といい、
それを賞賛する報道が行われますが、そうとも言えない、というお話です。

結果バイアス

件の論法って
「結果が良かったのだから、その過程もいいはず」、という仮定法ですよね。

ところが、その過程でなかった場合を検証することができません。
厳しく育てて、成功しなかった人はいないのでしょうか?そんなことはありえません。

結果が良かったからと言って、むやみに過程を賞賛すると、間違った教育が行われる可能性が高まるので悪だと思います。

厳しく育てると

親の気持ち、子知らず、とはよく言ったもので、
厳しくしすぎると「否定されている」ということしか伝わりません。
それによって、親と早く離れたい、と考えて、そのとおりになれば悪いことではないのかもしれません。
しかし我慢した場合や、周りに「親に厳しくされた手法」を肯定されると、傷つく可能性がありますよ。
厳しさは、自分への否定ですから、それを他人が肯定するのは苦痛となるからです。

ボクシングの内藤大助さんが言っていたのは、
母親の否定・否定の連続で、
「自分なんかくだらない、こんなくだらない自分は誰を傷つけたってどうでもいい」
と考えていたそうです。
そんな内藤さんはボクシングと出会って、「堂々と思い切り他人を殴れる」ことでストレスを解消する事ができ良かった、とのことです。

はい。「厳しく育てられてよかった」とは一言も言ってませんね 笑
あれって、周りが勝手に言ったんですよね。
テレビ番組の美談的に。
少なくとも、当初は「母親の厳しい子育てが内藤大助を鍛えた」的な美談番組があったことは間違いないです。

実にこうなりがちです。
私はこれを、精神的サドの同調圧力、と考えています。

いじめることに快感を感じる変態というのは結構いますが、
厳しくすると言うのは「いじめる」というのと感覚的につながっていますので、
ただ楽しんでいるだけの場合も結構あるので、手放しで賞賛するのは危険と思います。

厳しさを履き違えている人たち

厳しくするのはダメだ、と誤解してしまうかもしれないので補足です。
もう少し言うと、殆どの人は「厳しくする」つもりで、実際にはただ「凶暴になっている」だけの人が多いのです。

具体例をあげますと、
何かの物事ができない時、
「しつけ」と言いながら暴力をする親がものすごく多い一方、
粘り強くその物事をできるまで教える親はかなり少ないのです。

殴って、怒鳴って、気が済んでしまう親が多いのです。精神的サド親ですね。

ポイントは「凶暴ではないか」という点だと思います。
武勇伝は恥ずかしいので勘弁してほしいですよね。

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