映画『二宮金次郎』:薪背負う暇なし!突っ走る偉人
最近は図書館に行ったら無料の配布物のところを見ます。
実はこんなところに無料のコンサート情報が転がっているのです。
で、今回見つけたのが「二宮金次郎・映画鑑賞会」でした。無料です。
二宮金次郎自体はよく知っていますが、この映画は知らなかったです。
しかしながら検索してみると結構ヒットするので、知る人ぞ知るなのでしょうか。
予約していってみることにしました。
『二宮金次郎』映画レビュー
情熱と矛盾の人間ドラマ『二宮金次郎』は、歴史上の人物・二宮金次郎の人生を描いた作品です。
期待していた教科書的な偉人伝とは一味違う、情熱と葛藤に満ちた人間ドラマでした。
制作費3億円という話題が冒頭で触れられたんだけど、商業的な映画館での公開をしていないという話に驚き。
どういう事情なのか、こうやって各地域で無料で鑑賞会をやるのみとのこと・・・ちょっと理解が追い付かない。
北野武氏の「映画の制作費のほとんどは広告費」という言葉を借りれば、3億円の内訳が気になるところだが、映像の質感やキャストの豪華さから、予算はしっかり作品に注がれている印象でした。映画作るとなると3億円なんて簡単に溶けちゃうからね。。
個性的なキャストと短い少年期
渡辺いっけいが金次郎の母親没後の身元引受人役で登場するんだけど、その存在感も束の間で出演終了笑。
あの有名な少年期の金次郎が薪を背負って勉強する有名なシーンも驚くほど短く、すぐに大人へと物語が進んでしまう。弟が二人いたはずがだが母親の没後別の親戚のもとに行ったためここで今生の別れとなる。映画なのだから再開を期待してしまうところだがそういうシーンは無し。史実はわからないが、そういう時代だったのでしょう。それに今後金次郎は必死に働くわけですが、求められている以上はセンチメンタルになってはいられないということなのかなと感じました。自分の情欲よりも仕事。そんな印象を観覧後は思いました。よく言えば、ですけどね。
そういえばカミナリの二人の出演も一瞬で、彼らの軽快な掛け合いは笑いを誘いはしたが、物語の深みには全く寄与しませんでした。記念出演、みたいな。
急展開の出世と厳格なリーダーシップ
金次郎が藩主(榎木孝明)に認められ、急速に出世する展開は拍子抜けするほど早い。何か借金?を短期間で完済したということが認められた理由らしいけど、彼が何をしたのかさっぱりわからないし語られない。勉強など無駄だと言われながら本を手放さなかったことが功を奏したのかとも思うけど、あまりにも説明がなくわからない。もう少し説明がほしい!
すでに書いたが、弟との再会など、個人的なエピソードはほぼ描かれず、彼の優先順位はあくまで「多くの人を救う仕事」みたい。復興事業を進める金次郎は、怠惰な農民に厳しく対峙し、時に激昂する。怠け者系の住民としては柳沢慎吾(役名はゴイチ、だったかな?)が一番厄介な住民なのだけど、サイコロ賭博にいつまでもうつつを抜かしていることに腹を立てサイコロをかみ砕いちゃう。さらに当人を肥溜め?に放り投げる。情熱ゆえの行動なんだけど、密かに農民を監視するような描写もあって「やりすぎでは?」と感じる瞬間もある。。。
金次郎が導入したやり方には評価制度があった。つまり農民に点数をつけて順位をつけて上位者には賞金を上げたりしたみたい。その点数の評価のために四六時中監視していたわけだけど・・・。そりゃあんまり気持ちいいものじゃないよね。賞金がもらえればいいけど、下位の人は見られ損だ、となってもおかしくない。
側近との対立と曖昧な決着
金次郎の側近として登場する人物が物語に波乱を呼びます。最初の側近は穏やかな協力者という人物だったが、金次郎のやややりすぎなやり方に嫌気がさしたのか、転勤を願い出ていて退場してしまう。代わりに現れた「豊田」は、金次郎の農民出身の背景を軽視し、彼の改革を次々と潰していってしまう。補助金(イメージとしては生活保護みたいな感じ?)を復活させ、農民の怠惰を助長してしまう豊田。抗議をする金次郎に「武士なら刀で戦え」と一触即発。しかし金次郎は土を掴んで「私は百姓だ!」と刀を抜かず対抗する。というか刀は持っていない。この場面が見せ場だが、やや唐突でその後の展開が曖昧におもえた。この小競り合いで金次郎が勝ったということらしい。正直ここがよくわからなかった。豊田が失脚するも、藩主の金次郎への肩入れが強すぎる理由が薄く、納得感が欠ける。豊田は金次郎を失脚させるがごとく書状を作るのだけど、偏っているとはいえ嘘とは言えない内容ではありました。
- 成績の良いものだけを優遇してやる気を削ぐ
- のぞきまがいのことをして不安にさせる
- 外部の農民を引入れたけど、みんないなくなっちゃって混乱しただけ
- 成績のいいものを本百姓に昇格させるという嘘を吹聴
ちょっとギョッとするような内容。金次郎が始めた施策の中には評価制度がありました。個人個人を「査定」して点数化し、高得点のものには賞金を与えたりしていました。こうやって頑張らせようということではあるものの、確かに望みがないものにとっては面白くないでしょう。覗きまがいのことをしていたのはすでに書いた通りです。外部からの引き入れは、今でいうと移民でしょうか・・・。自然と移民を優遇することになるのですから、やはり不満は出ます。また「本百姓」というのは小作人ではなく自分の畑を持っているということですが、本当にそうなれたかどうかの言及がついになかったことから微妙ではあります。少なくともこの時点では一人もいませんし。
それなのにこの書状を読んだ藩主はどういうわけか金次郎に肩入れしており、この書状を提出した豊田に謹慎を命じます。ヨクワカラナイ・・・少なくとも検証は必要じゃない?それか、この書き物に穴があったのならそこをつくところを描かないと、変。結果視聴者にしてみたらなんだか金次郎の不戦勝のように見えましたね。
謎の成田山修行と人間味の光るラスト
そして、こともあろうか、こんなごたごたな状況で金次郎は姿を消します。村は金次郎派と豊田派に分かれ大変なことになってるというのに渦中の金次郎がいなくなってしまう。何をしていたかっていうと・・・成田山・・・なんと成田山に修行に来ていました・・・チーン。いやいやいや、ダメでしょみんな困ってるときに何やってるの・・・。物語の後半のこの、金次郎が突然成田山で断食修行に入るシーンは長く、なぜここで彼が姿を消すのか理解しづらい。しかも修行の成果やその影響がいまいちあったのかなかったのかわからない。だって、修行終わると同時に心を入れ替えた人やもともと金次郎派だった人たちが迎えに来てしまうから。村人たちが勝手に改心した形である。最終的には藩主の判断で事態が収束し、金次郎の努力が報われるが、ドラマチックな解決には物足りなさを感じた。
しかし、ラストは意外な温かさで締めくくられる。失脚した豊田が、豊田派だった女性と再会し、災害復興に取り組んでいたのでした。ただ居丈高だった豊田は人間として成長、素朴に生きることを決意したのだと感じました。この小さなエピソードが、映画全体の硬派なトーンに柔らかさを加えていると思う。
この失脚後の豊田だけど、もう少しエピソードがある。修行後の金次郎があの対決「真剣対泥」の時に「打ちのめしてしまった」と後悔し米を10俵送るのである。送り主のない贈り物ではあったが、金次郎の仕業であるとすぐにわかり大変感謝する・・・のだけど、この時の10俵のコメの価値がいまいちわからないのでピンとこなかったのも事実。まあ、それでこの後復興の手伝いという地味な作業に手を貸す気持ちになったのだから効果はあったということなのかもしれないけど。
まとめ
『二宮金次郎』は、偉人の理想と現実のギャップを描きつつ、情熱的なリーダーシップとその孤独を浮き彫りにする作品だったといえると思う。展開の唐突さや説明不足の部分は否めないが、人間ドラマは心に残る。金次郎の厳しさと優しさが交錯する姿は、現代にも通じるリーダー像として考えさせられる。革命はうまくいかず反発をくらってしまう状況もよくわかる。しかしながら、もう少し藩主との関係性や修行の意義が深掘りされていれば、さらに満足度が高かったかもしれない。
映画「二宮金次郎」とは?
映画『二宮金次郎』は、徹底した合理化を通じて貧困に立ち向かった二宮金次郎の姿を描いています。点数制による人事評価など、当時としては革新的な手法は、混沌とした時代に秩序をもたらそうとした彼の先見性を示していますね。しかし、監視や競争を強いる姿勢は反発も招き、現代の官僚主義を思わせる一面もあります。もっとも意外だったのは、二宮金次郎の「学問の勧め」のイメージとは裏腹に、学問を推奨する場面が皆無だったことです。仕事優先の厳しさは時代ゆえとはいえ、窮屈さを感じた人々も多かったことでしょう。それでも、貧困打破を目指した金次郎の情熱とシステム思考は、今なおリーダーシップの葛藤として響きます。合理化の光と影を描いた本作は、偉人伝を超え、現代に問いを投げかける作品です。
こうまとめてみたけど、やっぱり成田山は蛇足だったな・・・と笑
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