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アドラー心理学、初歩のまとめ

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初歩がわかった!、と言ってしまっていいかわからないのですが、
ちょっと勉強してみて、意外とまとまっていなくて分かりづらかったりしたので、ちょっと自分なりにまとめておこうと思います。

アドラー心理学の要は共同体(感覚)

アドラー心理学は、説明しようとすると、面白い・もしくは受け入れがたいところから導入されてしまうのですが、
実は基本は最も受け入れやすい(何だあ)と思われるだろう、共同体(感覚)が実は中心になっていると思います。
共同体感覚は、要は「社会との関わりによって幸せを感じるよ」っていう、びっくりするぐらい「知ってた」「よく言われる」内容です。

ただし捉え方がかなり違って「上下関係はNG」となっています。
私達が共同体をイメージする時、上下関係は切っても切れないものです。

アドラーの考え方はこの上下感覚のない共同体を実現するための道具としてその他の理論を使うのです。

補足事項1 目的論

私達が物事を考える時、原因論で考えます。
だから~、でも~、と言うやつですね。
よくこれはダメだって言われるやつですね。

アドラー的には、だから~、でも~、という発想が出てしまったら、原因論になってしまっているので、
目的論で言い換えます。

無理矢理にでも置き換えます。

  • 貧乏だから、彼女ができない
  • 不細工だから、彼女ができない

  • 貧乏な男は彼女ができないということを証明するために、彼女を作らない
  • 不細工な男は彼女ができないということを証明するために、彼女を作らない

ちょっとかなり強引な例です。強引なようですが、貧乏に対する金持ち、不細工に対するイケメン、に可能性を感じたいためにそうしている、という風に考えます。
運命ではなく、自発的にそれを選んでいるという考え方をするだけで不交感が薄まるのです。

補足事項2 上下関係の否定

上下関係があると、誰かを羨んだり、見下したりすることにつながりますよね。
自分を特別に考えて、誰かより上だ、誰かより下だ、と考えているうちは共同体になれないのだ、ということです。

上下感覚の最たるものとして、褒める・叱る、があります。日本の大得意な賞罰教育です。
罰教育が先行し、あとから、賞教育が流行していきました。
そのうちやっぱり罰の方がいいとか、堂々巡りしました。

しかしこれってどちらも効果が全く同じで

  • 他人の目がないと行動できない人間になる

可能性が高いのです。褒められるか、叱られない、という報酬を欲しがってしまう。

また、上下関係があると、他人の問題と自分の問題を混同しがちになります。そして殆どの問題は解決しません。上下関係で助けた方は、「やってやった」になり助けられた方は「頼んでない」となるわけです。課題の分離によって、これを断ち切ります。

上下関係を保とうとすると、劣等コンプレックス・優越コンプレックスを使い、人間関係はだめになっていきます。

普通である勇気は通常は持っていないです。上下関係を保とうっていうのは、周りより優れた人間であるという浅ましい考え方です。どうせ俺には何もできない無能だよ、と腐るのも浅ましいです。そのどちらでもない真ん中くらいの存在であることを自分で認める。それが「普通である勇気」です。幸せであるためには必要な考え方です。

補足事項3 嫌われる勇気・幸せになる勇気

これは、アドラーというより、本の表題です。
勘がいい人はわかってしまったと思いますが、これは簡単で、
バッティングで言うところの「振らなきゃ当たらない」です。

問題は、振っても当たらない事です。
はっきり言って、初めて振ればまず当たらないです。でも、振らないことには絶対当たらない。
ですから「嫌われる勇気」というわけですね。

幸せになる勇気、はこれの逆になりますが、幸せになるためにはまずは嫌われる勇気が必要、という意味ですね。

 

アドラー心理学はシンプル

人生はシンプルである、というのがアドラーですから、
アドラー心理学自体がシンプルであることは必然です。

全ての考え方は一つにまとまっているのですが、なかなかうまくまとめられず・・・

というわけで、またしばらくたったらまとめてみたいと思います。

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