自分を苦しめているものの正体・・・アドラー心理学(2)
2回めは「自分を苦しめているものの正体」です。
ズバリ答えは「劣等感」ということですね。
答えとしては、
- 普通であることの勇気をもつ
- ありのままの自分を認めること
です。
ありのままの自分を認めるというのは、きれいな話ではなくって
「大したことのない自分」を認めるということです。
私たちは多かれ少なかれ、優れた自分、を求めて生きています。
ところが、それほど超越できない自分を認めないとね、ということです。
逆に、それほどダメダメでもない。「普通くらい」という残酷な現実を受け入れよう、ということになります。
私たちは、どんな人でも今よりも優れた存在になりたいと考えます。
しかしそれが手におえない場合、それを否定するような行動を取ります。
これが「普通は耐えられない」という状態です。
普通で居る、ということって実は勇気がいるくらい大変なこと。
普通でいる勇気のないものはすぐ特別になろうとする。
特別になれないものはすぐ悪くなろうとする。
彼はそれで安直な成功と優越を手に入れるのである
劣等コンプレックス
劣等感には2種類あるそうです。
まずは劣等コンプレックス
- AであるからBできない
- AでないからBできない
劣等コンプレックスは非常にわかりやすいです。
いわゆる原因論ですね。
でも、アドラー的には、殆どの場合はAとBの間には因果律がない、と考えているようです。
ブスだから、貧乏だから、、、と言うのは、Bを諦める材料に利用しているのだ、という考えです。
実際にAを解消してBに挑んだ時、もっと別のどうしようもない原因にぶつかるのを恐れるからだ、、、と。
でも、殆どの場合はこうして諦めているように感じます。諦めたまま終わる。
これは良いか悪いか意見が分かれそう。
アドラー的には幸せは対人関係にしか無い、と考えているので
「できない」がまさに正しかった場合でも、全くかかわらないということを否定しています。
ここは難しいところですよね。結局はだめな可能性を考えて、うまくいく可能性を潰しちゃうってのはわかりますが、成功体験がない事が続くと、やっぱり諦めちゃうようになりますよね。
ここは、ホリエモンが言うように「小さなゼロを重ねる」というのがいいかもしれませんね。
とにかく自信をなくしている人は、「できない」と思っている物事のレベルをうんと下げる。
優越コンプレックス
もうひとつは優越コンプレックス。これは意外でした。
- 自分を実際よりも優れているように見せること
- 他者からどう見られているかを非常に気にする
- 自分で自分についての理想を高くしようとする
アドラーは優越感は実は劣等感と密接につながっている、という考えています。
いじめがまさにこれです。相手を貶めて、自分を実際よりも優れているように演出する。
承認欲求の強さも優越コンプレックスです。
賞罰教育の弊害ですね。褒められなければ何もしない。
理想を高くしようとすると言うのは、ちょっと意外ですが、不幸自慢がこれに当たるそうです。
不幸であることによって特別であろうとする。。。
ちょっとぞっとしたのですけど、弱いということは非常に強い権力を持ちますよね。
劣等コンプレックスわかりやすかったですけど、
この優越コンプレックスこそが危ないですね。
普通であることの勇気を持つ
日本教育がそもそも問題なのですけど・・・。
日本教育って、賞罰教育、プラス、競争教育、ですよね?
たぶんアドラー心理学はこの日本的なものに対する完全否定だと思うのです。
競争や勝負でいきていると、必然的に劣等感が生まれてくるといいます。そりゃそうです。
勝ったら勝ったで優越コンプレックスです。永遠に心は休まりません。
結局は、誰かを羨み、一方で、誰かを見下すことに落ち着きます。
言い方を変えれば、「無理な優越性の追求」が不幸を呼ぶということです。
無理をするから不幸になる。それならば普通であることの勇気をもて、と。
たいして優れていない自分を認めよう、ということですね。
ナンバーワンよりもオンリーワン、と言われます。
しかしこれに結構ストレスを感じている人が多いのだと思います。
この考え方こそが癌である、というのがアドラーであり、なぜかとても新鮮に感じますね。
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