宗教って発見じゃなくて発明だよね
私は一応無宗教ですが、
最近はっきりとわかったことがあるので、書いておこうと思います。
神様はいるのか?という不毛な話
よくなされる議論が「神様はいるのか、いないのか」という議論ですね。
見たこともないという人と、神様は簡単にその姿を表さない、と言う人
全く信じていないという人、信じれば見えるという人。色々。
この世の中に不幸な人が未だたくさんいる矛盾を言えば、
神は人間の利己的な欲望を叶えるために存在するものではない、とかとか。
どこまでいっても平行線です。
欲望を見抜いているのだ、という言い方もありますね。欲望がなくなったら・・・なんていうのは、もうただのパラドックスです。
欲望がなくなれば願いなどなくなるわけですから。
発見だという誤解
実は、肯定派にも否定派にも、簡単に説明できるであろう方法を見つけました。
なぜ件のような議論になってしまうかというと、
否定派は「神様を発見できてない」と思っているからです。
それは当然のことなのです。肯定派ですら発見したわけではないからです。
発見ではなく「発明」
そもそも「発見」という視点が間違っているわけです。
宗教とは「発明」です。
どんな宗教でも誰かが書いた物語が元になっています。つまりは「発明」である、というわけです。
こう言うと「やっぱりインチキなんだな」と言われるかもしれませんが、ちょっと違います。
私たちは、今の世になっても、やっぱり死後の世界というのがわからないし、怖いと感じていますよね。しかしいつまでも怖がってもいられない。時間も無駄です。ですから、宗教を「発明」して、折り合いをつけているのです。
物語の登場人物として同じように「神様」も発明されたものなのです。
宗教にはまらないためにこの考え方は使える!
残念ながら、はじめは人々を死の恐怖から救うための発明だった「宗教」ですが、
現状、よく金儲けに使われて仕舞うのが現状です。
「日本の仏教は金儲けの道具」と言われるほどです。
宗教を信じないというと、じゃあ葬式もやらないのか、という極論を言う人もいますが、
宗教を「発明品」とみて俯瞰してみれば冷静に考えられます。
死んだあとどうなるかは誰にもわかりません。しかし宗教を利用して「天国に行ったのだな」と思い描いて、そういうことにすれば気も収まるというものです。
宗教はその内容がメチャクチャなものもありますが、
割りとほんとっぽいものも含めて、全部「発明品」。
そう思えば、宗教というものが可愛らしく思えてくると思います。
「宗教は発見ではなく発明である」ことを気に留めておいてみてください。
そうすれば宗教にハマることも防げるはずです!
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