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鬼畜男・白痴母親が生まれ、いなくならないわけ

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この春、甥っ子が大学に入学しました。
来年はとうとう成人。
確かにジジイになったもんなあ、と思う・・汗

ちょっと離れたところに住んでいましたけど、小さいときはよく遊びに行きました。
私のようなしょぼい人間の繰り出す物事にいちいち全力で反応してくれました。
地図を眺めて、面白そうなところがあると車で一緒に向かったこともありますよ。まだ今ほどネットで何もかもが見つからなかった時代の話です。なーんにもなかったこともありましたが、それまであることも気が付かなかった遊戯施設を見つけたこともありました。
一番行ったのはプールかな?何回も出かけたけど、これら私一人だったら絶対行ってなかっただろうなと思う。プールはおじさんは一人で行けないわな。そういう意味では、こちらとしても遊んでもらっていた、とも言えるかも。
「世話をする」という感覚は皆無で、この小さい人間がとても面白かった。どうすればもっと喜ぶか研究したいというか、探究心はくすぐられました。

それも、だんだん成長するに連れて、スーパーマン(滝汗)だった私のことも普通のむしろスペックの低いおじさんだと気づいたのか、屈託の無さはなくなっていった。いやいいのだ別に。学校とか、自分の作った社会が楽しいのが一番。それが成長というものだし 涙。
してもらったことは忘れない、という綺麗事を言う人もいるけど、多分全部覚えていないと思う 笑

だけど、それでいいと思う。むしろ忘れることが必要だと思う。だって、もし忘れないのなら、それはもしかしたらすごく不公平なことかもしれないから。

ああいった思い出は、子供側ではなく、大人の思い出のためにあるんだと最近思うのでした。

不幸な子どもたちを作るのは分断教育では?

不幸な子どもたちのことを思う。海外の、ではなくて、身近な日本の、です。
こうして明るみに出る以外にも、おびただしいほどの事件があるのだと思う。
鬼畜のような男や白痴のような母親のことはどうやっても理解できないけど、
つい子供の身になって色々想像してしまう。甥っ子が小さかった頃を思い出してしまう。そして、気分が悪くなってしまう。
まともな大人に育てられた子供たちでも、その楽しかった思い出はどこかでぷつんと消えるのが好ましいと思ってしまう。なぜなら、どうせ忘れちゃうんだから、と言うのは楽しいことのなかった子達にとってほんのちょっと慰めになるようなきがする。忘れちゃったことはなかったことと一緒だよ。と言ってあげたいとおもう。これでほんの少しだけ不公平感が薄れてくれたらいいな、と思う。

この男や母親を罰しても状況が良くなっていくと思えない。
原因の一つには関わってる人数が少なすぎることがあるだろうと思う。
この母親、シングルマザーということで、もともと人間関係が分断されちゃっていますよね。
多分知り合いも少ないんでしょうね。知り合いを増やす努力もしていないんでしょう。一人で生きていくなら仕方ない部分もあるけど、子供が居るなら・育てたいなら駄目だよね。もっと知り合い・友達がいたなら、「あの男は駄目だよ」と言われたはずだとおもう。明らかに鬼畜だし、狂ってるから。それに暴力は1度じゃなかったはずで、知り合いの目にも触れ早い段階で警察沙汰になればよかった。それと、母親に知り合いが多いタイプならこういうタイプの小物男は近づいてこなかったようなきがします。寂しさにつけ込んだに違いないからです。鬼畜だからね。

アドラーの言う共同体感覚、マルクスの「団結せよ」、本当に大切なことを言っていると思う。そしてこういう私も学ばなかった・・・。富裕層の罠にまんまとハマって、「他人を見たら敵だと思え」と生きてしまいました。

私はもしかして、この鬼畜男や白痴母親と同じかもしれない。
同じかもしれないと思ったから、結婚もできなかったし、子供も持てなかったのかもしれない、と少し思う。そしてまた亡くなった子供のことを思ってしまう。子供を持たなかったことは、子供を殺したのも一緒?と少し思う。スマン。生まれなかった我が子供。「いい人生じゃなかったかも」という妙な言い訳が浮かぶ。

分断教育の呪縛から抜けるのは難しそうです。

 

「ママ、苦しい」虐待で息を引き取った3歳児 居候男を「パパ」と呼んでいた
同居相手の当時3歳の息子に暴行を加え、死亡させたとして、傷害致死罪に問われた男の裁判員裁判が9月4~13日、東京地裁で開かれ、懲役8年の判決が言い渡された
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170922-00000500-san-soci

 

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